※当サイトの一部にプロモーションを含みます。
・N.Iさん 31歳女性 事務員
・イントラレーシック、22万円くらい
きっかけは先輩の嫌がらせでした
私は小学生の時から眼鏡で、似顔絵には眼鏡だけ描かれ続けてきました。眼鏡は本体。それが友人知人によく言われてきた言葉で、正直あまり嬉しくありませんでした。
あるとき、アルバイト先の先輩が執拗にバイト代の使い道を聞いてきました。先輩は当時はオシャレに興味も薄く、お酒もあまり飲まない私が、懸命にバイトをしている理由がわからなかったそうです。
あまりにもしつこく聞かれたため、とっさに憧れていましたが、勇気のでなかった「レーシックの為!」と言ったのです。
それ以降、会うたびに「その資金分は貯まったはずだ。何故行かない」と問われ続け、なかばやけになって無料検査を申し込みました。
申込んだのは札幌のレーシックで一番有名だった品川近視クリニックです。
無料診断だけのつもりが
品川近視クリニック札幌院の予約は簡単にとれました。きれいな院内で色んな検査を行い、とても安心したのを覚えています。回りに人がたくさんいたため、特に緊張もせずに検査結果と共に説明を受けました。
私は角膜の厚みが手術をするのに十分であることや、レーシックの後遺症についても写真で説明を受けました。ここに来て、やはり角膜を削ることや出費に内心怖じ気づいていました。
検査結果を持ち帰り、家で悩もうと心に決めていたその時です。説明をしてくれた女性はにっこり笑って卓上カレンダーを手に持ちっていったのです。
「手術日いつにされますか?1週間後は大丈夫ですか?」
断られるとは思っていない、素晴らしい接客スマイルでした。
ここでNo!と言えたら先輩への意地でここに来てはいません。こうして、軽い気持ちで検査をして、そのまま手術日が決まり、臆病風で逃げられなくなりました。
当日は無我夢中でした
ビビリな私はレーシック当日は緊張しまくっていました。不安な思いをかかえて品川近視クリニックに行くと、まず簡単な検査や説明を受けました。
その後に上だけ貸し出された服に着替え、私を含めて数人が待合室のような所で待たされました。
そして看護師さんに呼ばれて麻酔の目薬をさされます。既に眼鏡は外し、回りもよく見えないため、看護師さんが手を引いて誘導してくれます。
目をつぶってじっとしている間、ただ椅子に座って順番を待ちました。
出荷されるために自ら調理される家畜の気分になるのは、緊張していたからだと思いたいです。
手術は怖かったです

そして私の名前が呼ばれ、案内されたのは強い光が当たる仰向けの椅子でした。勿論手術と言っても病気ではないため、自力で移動して乗ります。
目に何か透明なものをはめられ、機械が迫ってきたと思ったら、視界は暗闇の向こうに赤い光が見えるだけでした。
何かの作業音と「瞬きしないでくださーい。瞬きしないでくださいって。ほら、頑張って開いて!」
と応援なのかキレられてるのか解らない声をかけられながら、終了しました。
痛みはなかったのですが、脳内はただ大混乱で「あばばばば」と思いながら耐えていただけです。
そこから下ろされ、次に呼ばれるまで手術室の室内のベンチに自力で移動しました。
その時点で視界は真っ白で、すりガラスを通したようにぼやけて見えます。ですがそれ以上に、眼鏡がないのにピントがあったことに驚いて、自分の手をじっと見つめてしまいました。
術後は感動と不便さ
術後は30分くらい、休息部屋で目を休めてから帰宅しました。
すりガラスを状態なのは変わらない反面、光が美しく見え、裸眼でありながら木の葉の一つ一つがしっかり見えたとき、思わず感動で泣いてしまいました。
ですが、結局迎えに来てくれた父と合流するには、視覚で情報を得られずに喧嘩するはめになりましたが…。
その後、数日間はお風呂に入らず、頭を洗わないでくださいと告げられ、心底冬に受ければよかったと後悔しました。
しかし視力は両目とも1.5。すりガラス状態も次第に収まってきて、1週間後にはすっかり良くなりました。
右目:施術前0.01→ 施術後1.5
左目:施術前0.02→ 施術後1.5
体験談まとめ:受けてよかったという思いと、少しの不満

手術から時間が経ち、現在両目が1.2と少し落ちましたが、それでも眼鏡に戻ることはまだありません。
眼鏡が壊れてしまう恐怖を感じず、コンタクトが切れてしまう心配もなく、日々楽しく生きています。温泉施設に行っても眼鏡の心配をしなくてよいのは安心です。
ただ、術前にもしっかりと説明を受けていたのですが、ハロー・グレア現象だけは、いまだに少し後悔します。
夜の光がにじんでぼやけて見える現象ですが、あまり大事だとは思っていませんでした。人によって時間とともに改善されるらしいですが、私はまだ夜の光がにじんで見えます。
少し悔やんでいますが、レーシックを受けたことは本当によかったし、私の数年をより輝かせてくれたのは間違いありません。
勢い任せで流されるだけの選択でしたが、今は私は選択肢のひとつとして、元眼鏡仲間にレーシックの話をし続けています。